完全アスペ目線

発達障害(ASD)目線でつづるあれこれ

外出先を考える

先のブログで、暇潰しは家で寝ててもいい。と書きましたがそればかりだと飽きるし健康上良くないので外出はします。

節約のその先 - 完全アスペ目線

 

楽しめた外出先

この程度です。展開されるコンテンツよりはその場所自体を楽しめるのが好きなんだと思います。首都圏に引っ越して1年近く経ちますが、あまり外出先を開拓してません。あとは好きな散歩ルートやサイクリングルートが多少あるぐらい。銀座とか新宿、渋谷とかの繁華街にもごくたまに行きますが散歩したりギャラリーの展示を見るぐらいで買い物は滅多にしないのでそこまでテンションの上がる外出先とは言えません。講演会なんか行くと都会に住んで良かった感が増すんでしょうが、今のところ行ってません。友人と会うこともありますが、大体食事したりお茶したりする程度で観光らしいことはあまりしないです。長時間外出するとかなり疲れてしまうので。

外食は自炊が面倒な時や人と会うときはしますが、割と職場から行きやすい場所にリーズナブルでおいしいお店を発見したのでそこばっかり行ってます。1000円以内で定食がおいしいお店が好きです。カフェ飯はおしゃれに見えて値段の割に栄養的に偏ってる感があるのであまり好きじゃない。パンケーキなんて原価考えると悲しくなる。外食やカフェ目的だけで外出することもほぼ無いですね。おしゃれな店に行ったところで自分の人生おしゃれになる訳ではないし、初めての店で外した時の喪失感が嫌なので。

 

あまり行かなくなった場所

  • 映画館
  • 図書館
  • 美術館

こうして見ると文化を捨ててる感がありますね…若い頃は教養コンプレックスだったからこそ行っていたような気もします。教養をどれだけ頑張って身に着けても、日常でコミュ力が高いと認識されるのは返答の速さと相手に興味を持っているふりです。己の知識など披露しても意味ないどころか嫌われます。相手の言ってほしいことを言うのが会話とされています。それが出来た先に教養で話を広げるって段階があるんで前段階をどうにもできないならもういいかな。一般教養だとか人よりマニアックなものを知っている記号とか気にせずに好きな本読んで好きな恰好すればいいよ。日常的に接する人と落合陽一の話などしないけど読むし。

図書館に関しては、今の生活圏内に古い図書館しかなくハード面で心惹かれないのが大きいと思います。新刊が予約数ヶ月待ちになるのもタイムリーに読めないのがストレスで結果買うことが増えました。子供の頃図書館に感じてた知の宝庫的な感覚はもう無いです。スマホ及び自宅にネット環境があるからというのもありますね。

某支援団体の説明会で、「発達当事者は子供の頃から学校の休み時間などは図書館にこもりがちなので図書館で働きたいと考える学生が多い。」と聞きました。確かに学校で一人になれるのは図書館とトイレぐらいしかないのでそう思うのは分からないではないですが、今のご時世図書館ってエモいか?と疑問に思ってしまいます。すぐに無くなりはしないけど、時間潰しの場所としては退屈に思えてきました。

 

買い物について

買い物もミニマリスト化に伴い楽しい行為ではなくなりました。限られた予算内で最もコスパの良いものを見つけるミッションみたいな感覚。昨年は引っ越しをしたので何かと生活用品を買う機会が多かったですが、今年は消耗品の買い足し程度で済みそうです。先日服屋の前を通りかかったらセールの呼び込みを頑張っておられましたが、安くなってるから買うのは食料品ぐらいなので服でその発想はもうできないなーと通り過ぎました。

もう足りている物をさらに買い足すのがつまらなく面倒くさいだけで、新しく手に入れる買い物は楽しいんだ!と思える機会がありました。友人の女装の買い物に付き合ったことです。忘年会で女装デビューするというので、ウィッグ・化粧品・服の買い出しに行きました。自分の知ってる店や商品を紹介して役に立つのはなかなかいい気分でした。人の買い物見てたら自分はもういいや感が増しますが。

 

今後の外出先

 さて、消費主義に踊らされず大金を浪費せず、かつ充実した外出体験を得るには今後どうしたら良いか。スポーツジムや習い事を進められることもあるんですが、毎月定額が出ていく課金システムが嫌いです。単発で行ける事務や習い事ならまだ検討の余地あり。海や森をうろうろ歩くのは好きなので、今年は自然の多い場所を開拓できればと思ってます。あとは女装関連でのお手伝いとか。

人の移動にはコストがかかるので、VRで海外旅行とかすれば充実した余暇になるかもしれません。テーマパークのアトラクションに並ぶの嫌いなのでそこもVRでいいですね。外出って何なんでしょうね。60過ぎたら清掃とか公園の手入れとか外で体動かす仕事にシフトして、余暇はひたすら「貧者のVR」の世界にこもっているような気がします。

 

 

節約のその先

節約、流行ってるんですかね。雑誌の見出しなんかでよく見ますね。シニア向けは特に。死んだら自分では使えないんだから裕福なシニアにはどんどんお金使ってほしいですが。

私は今までの経験上仕事が続けられなくなることが時々発生しましたし、昇給は都市伝説と思って生きることにしているので、無駄金は使わない主義です。障害者雇用助成金切れてからも継続される保証はないし。今は障害等級が低いので年金は受給していません。なので老齢年金が支給されるまでは自分の稼ぎと貯蓄で食っていくことになります。何となく今の30代は支給開始が70~75歳以上になるのではないかと思ってます。

 

それで、お金を使うのは最低限にしつつ、ある程度余裕ができたら投資に回したいと思っている訳で、自分で必要以上にため込むのは良くないなと思ってます。数年前、何事も切り詰めてお金を貯めて専門学校に入ったのに今はその専門分野全く関係ない仕事してます。それ以前にも、フリーターで情熱を傾ける先がなくて割と金のかかる習い事をしてしまったこともありました。自分にまだ可能性があると思い込み、ため込んだお金があると投機的なお金の使い方をしてしまう癖があるのかな、と自覚しています。

 

別に何歳から新しいことを始めても構わないし、本当にやりたい事に対してやる気のある人はどんどんやってくださったらいいと思うんですが、個人的には自分の成長とか世間一般に通用するとされる教養とかはもういいと思ってます。他人から無能でつまらない人間というレッテルを貼られても痛くもない。シニアの学び直しに対する対抗意識もあります。人生あらかた試して諦めた私が若者の側のふりをして投資してもらうのはやめようと。もっと将来のある、モチベーションの高い若者、私以上に生活に困っているが学びたい若者、もしくは同年代でもいいですが可能性のある人たちに投資する方が大きな視点で見て無駄が少ないんではないかと考えるようになりました。

私はもう評価なんて受けなくていいから細々と平和に死なない程度に生きられれば良くて、余剰は暇潰しに積極的に金を使うんじゃなく必要としている人に使ってもらう方がいいんではないかと。暇潰しで物買ったりサービスを受けたりしなくても良くて、家で寝ててもいいと思えるようになりました。SNSで承認欲求を満たしてないので別に不都合はない。今日映画に行かなかった1000円で誰かの1日の食費になったらそれはそれでいいことだと思います。

人生つまらなくないの?と聞かれそうですが、物を所有したりやサービスを体験しているという会話が出来る程度で退屈が紛れていいね。と返したいです。

 

年中行事をスルーして生きる

明けましておめでとうございます。こんなブログでも案外誰かしら閲覧されているんだなーと驚いた年始です。ありがとうございます。

 

冬休みもぐだぐだと過ごし、先週末から仕事初めでまた連休でした。転職してからは残業がなく土日も完全に休みなので、ひとり暮らししていた大学時代に戻ったような感覚で毎日過ごしています。正月気分に浮かれずに朝食は安定のCOMPですし。

ひとり暮らししていると、年中行事がどうでもよくなります。実家では割と母がクリスマスだお正月だと飾り物を出したり行事食的なものを作ったりしていましたが、帰省しなかったし。年中行事に関心が薄い家庭で育った人に出会うとCOOLだな!なんて思ったりします。昨年は引っ越したので、ついに年賀状0枚を達成しました。LINEやメールにしてくれてありがとう数少ない友人たち。

 

世間の人達は本当に年末のタイミングで散財したい、という欲求が生まれるんでしょうか?正社員のみなさんはボーナスが出るからでしょうか?チキンもスパークリングワインもお節料理も大して好きではないから冷めているのかな。(筋子買っていくらにするということはなぜかやってみた)

日常の中に変化を求めない性格が影響している気がする一方で、毎年同じ時期に同じような装飾をし、同じような料理を食べる習慣に対するアンチもある気がします。その時食べたいものを食べたいという。あとイルミネーションにそこまで心躍らないんですよ。光に対してうるさく感じてしまう特性が影響しているのかもしれません。みんなが見たいと思っている訳でもないものを、みんなに見せるために高い木に頑張って電飾を付けてくれたり、LEDとはいえ電力使ってたりするので、見たい人だけVRとかで見ればいいと個人的には思ってます。工場夜景や都心の残業夜景は好きで時々眺めますが、装飾のための装飾に抵抗があるのかもしれない。

 

年中行事を通して人とのコミュニケーションを活発にしたいと考える人はこのご時世もいるもので、それがその人のやりかたなのだろうな、一律の価値観というものが存在した頃は普通だったんだろうな、とは思います。しかしそういう表面的なコミュニケーションを取ったところで、人と会話した感覚は無いんですよね。自動返答している感覚しか無い。自分の会話の仕方が下手なのかもしれませんが、結局雑談は個人の思考をぶっ込まれるより当たり障りない予測可能な範囲で進めるルールがあるんでつまんないです。近い将来、AIは気の利いた返答ができるのにアスペときたら何て気が利かないんだ人間くさい!と人間性を否定される日も近い気がします。

退屈な日常に変化をもたらすための年中行事って昔からあるようで極めてバーチャルな体験なのではないかと思います。誰かが作り出してそれに大多数の人が乗っかるというある種の奇妙さを感じます。

社内コミュニケーションってそんなに大事?

Facebookは退会した

数年前まで3年ほどFacebookをやっていました。最初はリアルの場で知り合った人とも再度リアルの場で集まらなくても文章や画像で近況を知れたり、自分の近況を投稿すれば反響があったり、リアルでのコミュニケーションが苦手な私としては便利なツールだと思ったことを覚えています。飲み会の代理というか。

しかし、こんな私でもゆるいつながりの人がじわじわと増え、タイムラインに連なる大量の他人のプライベートな投稿を見る度に「飽きた」と思ってしまいました。リアルの雑談で繰り広げられる内容をSNSでシェアしているに過ぎないと。誕生日なんて覚えてないはずのほぼ他人から誕生日リマインダーのせいで「誕生日おめでとう」メッセージが来た時のなんとも言えない気持ちをこじらせて退会しました。

根本的に他人に興味が薄いんですね。こと細かにプロフィールを入力してらっしゃる方もいましたが、全く覚えていません。他人というコンテンツ自体を娯楽だと思ってないんで、それをネタにコミュニケーション取ったりしないから覚えないんでしょうね。

お前何様だよ?と思われそうですが、私とつながりのあった人々が私よりつまらない人生送ってると言いたい訳ではなく、個人情報見てどうこう感想を持たないんですよ。よってマウンティングもしないんで良く言えば平和主義とも言えます。


 

Workplaceが待っていた

何でこんな不毛なことを思い出したかというと、転職先ではFacebookエンタープライズWorkplaceを導入していました。で、強制加入させられております。広報誌やら社内報を紙で配られるより断然ゴミが出なくて助かるんですが、頻繁に投稿してる方もいらっしゃって、楽しいのかなぁ?と久しぶりの感覚がよみがえりました。

全社的に告知しないといけない投稿はもちろん必要なんでしょうが、 Workplace以外の業務ツールありますし。飲み会の写真上げられてもねぇ。何を思えと…?キラキラした人達がいるのは把握しているが、そこを目指さなくとも採用はされている訳で。希望者だけ使えばいいんでないかなー。そこに割いているエネルギーはどこへ向かうのか。

社風としてはダイバーシティは認められているようだけど、コミュニケーションに重きを置かない特性を持った人間が認められるのかどうかは怪しい気がしてきました。

コミュニケーションが活発な方が業務効率は上がるし新しいアイデアが浮かぶ!というのはやはり一般企業としてはスタンダードな考え方なんですね。〇〇やりたい!と言いたい場合に普段からコミュニケーションが活発なら言いやすい、という感覚なんだろうけど、アスペはおもむろに主張したい時はするからなー。コミュニケーションって言われても価値がよく分らんが、社内における知名度や好感度の獲得、根回しって理解すればいいのか。


 

障害者の中で猫かぶってます

そして、今回は障害者枠で就労しており周りは障害を持ったスタッフが多い環境なのですが、当たり障りない雑談は当然発生します。そこは本当に一般就労と変わりません。もちろん職場の和やかな雰囲気を演出するという点で、多少は必要なのだろうなというのは頭では分かってるんですが、めんどくせーな。と思うこともあります。他人がいるところなんて結局一緒だ!

職場の人間関係においては、一生猫かぶって生きて行くんだと思います。他人に興味を示すというスタンスを取るだけで猫かぶってる感じがするというのは、かなり異常に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう人間もいるのです。

性別が女であることもハンデかと思います。コミュニケーションを取るのが生まれつき好きであろう、他人に興味があるであろう、ひとりでいるのは寂しく感じるであろう、という前提が、先のめんどくせーな。につながってしまうんですね。特性に対して気を使わせないようにコミュニケーションを取る。という回りくどい作業をしています。

お金をかけて働いている

今月から障害者枠(事務系)で働いています。障害者雇用のコンサルや採用支援をやってる民間企業(ここではサポート会社と呼ぼう)が運営するサテライトオフィス内の企業ブースで働いている、という環境です。とはいっても、まだ研修中なので実務はやってないです。 事務作業の研修と、ビジネスマナーやメンタル系の講義受けたりしてました。

障害枠の契約社員とはいえ、前職の一般枠正社員の初任給と手取りはあまり変わりません。(前職が安かっただけ)。定時上がり週休2日って素晴らしいですね。あとは研修中に自分の疲れやすさを把握して、休憩取るタイミングや1日のスケジュール立てられるように準備するので、全員一律で動かなくていいところは楽です。

 

ざっくり良いところと気になるところを挙げてみると…

良いところ

  • サテライトオフィスなので健常者が多数派の環境ではない
  • サポート会社のスタッフが常駐しているので健康面の相談がしやすい
  • 自分のタイミングで休憩が取れる
  • 「新人だから〇〇やれ」みたいな暗黙の了解がない
  • (所属会社によるけど)社員さんが常駐しているので業務の相談がしやすい
  • 研修やミーティング以外で集団で何かやることが少ない

 

気になるところ

  • 新卒向けっぽい研修を30代中途にさせてもなー
  • サポート会社の福祉系の独特の雰囲気が少し苦手(妙に優しい態度!)
  • 女性が多い会社なので独特の雰囲気はある(かわいいものが好きな人達多し)
  • 会社の他のスタッフの障害は詳しく知らないが周りのコミュ力が高いというかコミュニケーションを取るのが好きであろう人達が多い気がする

 

そして何より気になるのは

・働くだけでコストがかかるんだよなぁ

syougaisya-koyou.com

私は発達障害で短時間労働者以外の者に該当し、中小企業で働いているので年間120万円を2年間助成されているということか。年収がざっくり200万ぐらいとして6割は国のお金なのか。さらにサポート会社にも施設使用料や人件費が支払われていると考えると、自分の働く意味を考え込んでしまう。

「全ての人に働く喜びを!」と声高に主張するのは間違ってはいないと思います。しかし、お金かけすぎなんではないかと思う面もあるんです。セミナーや研修に偉い人っぽい講師が呼ばれてたりします。サポートスタッフもそんなに人数要るんだろうか?て数いたり。内容の薄い研修をやってくれたり。

 

間でかかるお金をなるべくなくしたいので、数年経って仕事慣れてある程度自分で進められるようになったら一般枠の在宅勤務を希望しようかと思ってます。所属会社は在宅勤務とかフレックスとか割と柔軟な働き方ができる会社ではあるので融通はきくかと。自分としては最終目標は在宅勤務で、今は過渡期と思う事にしています。自己管理のできる発達は一か所に集める意味はほぼ無いんじゃないかと思います。サボらないように管理する程度かな。

AIに出会いを任せてみる

 

無職期間を経て、最近丸くなった。穏やかになった。と思っていたので、ちょっと期待して久しぶりに性格診断をやってみました。

m-gram.com

 

m-gramの問いは105問あるんですが、75問以降は発達当事者の方々はすげー既視感のある内容となっています。精神病院とかカウンセリングでやったやつです。

でもって、診断結果も既視感のある内容が出てきて「ふぅーん」程度です。

 

f:id:oaauo:20171129133301p:plain

「協調性が高い」はさすがにテキトーすぎる気がしなくもないです。今までの労働において自分は間違ってて他人は全て正しいと思わざるを得なかった悲しい自分ルールのせいです。

ただ、ASD傾向の人はほぼこんな感じの結果になるのではないかと。もちろん未診断でも似た結果になる人もいると思うので気になさらず。

 

しかし、m-gramのいいところは「相性がいい相手と知り合う確率」を叩き出してくれるところ!普通に生きてても対人関係はめんどくさい異常の感想はないじゃないですか!ぼっち最高!になるじゃないですか!そんな自分に合う人がいればその人たちだけのコミュニティで生きて生きたいよ。

f:id:oaauo:20171129125631p:plain

426,476人に1人いるそうです。こんな私と相性の良い人。

日本の人口が1.27億人とすると、国内に297人いらっしゃる!

世界の人口が74億人とすると、世界に17,351人もいらっしゃる!けっこういる

希望が見えてきましたね。何語でコミュニケーションしたらいいですかね。とりあえず英語で日常会話できるレベルにした方が良いんでしょう。友達17000人ですよ。

 

健常も障害特性も国籍も言語も異なる人々がAIマッチングで出会うのって面白いなーと思ってます。リアルの出会いってリア充っぽい人とは距離置いたりしますし、友達の知り合いとかの人に特定の趣味や外見だけ好かれてコミュ力を求められるのもウザいんでもうリアルの出会いは期待してないです。既存の恋愛という概念自体に興味なくなりましたし。

 

今後、AIマッチングで障害特性関係なく出会いが増えて人付き合いや恋愛、結婚市場の既成概念が覆されるのが楽しみです。非モテが障害者に市場を奪われたと叫ぶんでしょうが、己の人間性を直視すべきです。あと、リアルの人間にモテなくても人生楽しいと思えるかどうかです。AI恋愛、VR恋愛もアリだと思います。

つまらない予定調和のコミュニケーションが楽しい人はつまらない同志でつるめばいいので、合理的だと思いますよ。マンスプレイニングしたい男性とへらへら笑って可愛がられたい女性の組み合わせなどは合理的に組み合わせるべきで、私のような理屈で生きてて戸籍と外見が女なだけの奴に役割を期待されたくないですから。

 

自由に人付き合いするために、どんどんAI活用していきましょう!

余談ですが、ZOZOSUITSを発注しました。もう今後は自分に合ったものだけ手に入ればいい。わがままと言われようが、時代がそうなってきたんです。無理して合わせるのは古いんです。

ざわっとするワード「仕事の切り離し」

 

ベーシックインカムが導入されたら、私は仕事を辞めると思います。

すでに来るべき時に備え生活レベルを落としています。この準備は、障害が重度化したり他の障害を併発し障害者年金で生活する場合や、老齢年金受給開始年齢に達した時にも備えています。

 

こんな話をリアルですると、たいがい引かれます。

「もっと活躍できる仕事があるよ!」

「働いてこそ充実した生活が送れるよ!」

「何かの宗教の影響?」

とかね。主に一般就労の健常者の言葉です。その方たちはAIより優秀な自信がおありですか?おそらくベーシックインカムが導入される頃には、労働が今より遥かに高度化されているはずですので、凡人の自己肯定感を維持するだけの仕事はなくなっていると思います。むしろそのような生きがい創造みたいな行為はボランティアでやるか、お金(ベーシックインカムから)を払って体験させて頂くタイプのサービスになるのではないかと。

 

現状、就労移行支援も似たようなものになっています。「仕事を通して社会参加している感」を一部有料で体験できます。就職前にワンクッション入れたくて来る人ももちろんいますが、ここでも学生を卒業したら仕事を通して社会とつながっているのが良しとされる宗教観があります。

 

そして、障害者求人を見ていると割とよく見られるワード

「仕事の切り離し」「仕事の切り出し」

本来の業務から、障害者雇用の人にやらせる業務を切り出し・切り離しているのです。法定雇用率を満たす為に雇わなきゃですし。こっちもこっちで仮に余計に仕事を作ってもらっているとしても、食うために仕方がありません。

ハロワだけでなく、国から助成金をもらって障害者と企業とのマッチングを行う組織も多数あります。雇用にコストがかかっているんです。本当に我々が働くのは、社会にとって意味があるのか?合理的なのか?我ながら疑問をもっているのは事実。

 

おそらく一般雇用でも、仕事を作って作って人を雇って、競争させて、結果働きづくめで倒れるんですよね?仕事作り過ぎの働き過ぎじゃないんですかね?人手不足って、飲食店そんな沢山必要ですか?介護は現状必要だけどテクノロジーの発達を急いでなんとかしてほしい。

〇〇プランナー、〇〇アドバイザー、〇〇コーディネーター他いろいろ資格作ったから資格活かして働くための肩書も大量にあって、ベーシックインカム支給した上で趣味でやってくれればいいんじゃないかレベルのものも多いと思います。

組織のマネジメントと競争がそんなに大事なら、いくつになっても部活をやればいいのです。みんな同じユニフォーム着て勝った負けたと騒いでいればいいのです。

 

一般雇用で働いていて、これ無駄なんじゃないかな?と思ったことは数知れません。新人なら一見無駄に見える雑用も一生懸命やるべき論は置いといて、社会にとって無駄ではないかと思ってしまうという意味で。

 

次は障害者雇用なんですが、果たして無駄感を感じずに続けられるのかどうか。働きながらもきっと思ってしまうのでしょうね、「これが切り出された仕事か」「この仕事は社会にとって必要か否か」考えても仕方がないのかもしれませんが、労働信仰から脱落したけど自殺もできない無職にもなれなくて働く道を選んだ人間の宿命のようなものかもしれません。